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暴走する能力主義/中村高康

昨今の教育界では、資質や能力(コンピテンシー)を重視する潮流がある。その傾向に対して疑問を呈した本。著者の専門である教育社会学の知識と理論的・実証的研究成果をベースに論じている。

 

なぜ「能力」が重視されるのか

背景として、「教育の大衆化」という事態を著者は指摘する。大学教育が普及することで、逆に学歴や学力といった従来型の能力指標の正当性が失われ、「能力」への疑問が噴出したためである。高学歴者による学歴批判・学校批判が再帰的に作動していき、発信された情報は瞬時に世界に共有される。

 

なぜ「能力主義」に疑問が生じるのか

新しい学習指導要領が示す「能力」は、新しい時代に対応したものと標榜しながら、実は陳腐なものの言い換えに過ぎないものである。メリトクラシーは反省的に常に問い直され、批判される性質を持っている(メリトクラシー再帰性)。そしてこの再帰性は、後期近代ではこれまで以上に高まっている。いわんや現代社会においてや。

 

これら抽象的能力を厳密に測る指標はない。また周辺分野の専門研究者からの批判は十分に反映されずにまとめられた面も、疑問を呈する原因となっている。

 

筆者の主張

今日の「新しい能力」論現象の本質は、既存のメリトクラシーを批判し、既存の陳腐な能力論を立派な代案に見せている、メリトクラシー再帰性の高まりに過ぎないという。

いま人々が渇望しているのは、「新しい能力を求めなければならない」という議論それ自体である。

筆者によると、話題となっている「キー・コンピテンシー」も、「非認知能力」も、「知識の暗記・再生」も、能力の実在性・絶対性を過度に協調したものである。それが政策的影響力を持つことによって、現代に生きる私たちを不必要に圧迫し続けているのである。

 

それでは、これからの時代に必要な能力は何か?それに対して、筆者は言う。

私達が言えるのは、読み書きや義務教育で現在教えられているような基礎的知識・技能の必要性はしばらく続くだろうということ、そして、個別の職業や社会集団の中で必要とされる具体的な技能や能力はそれぞれの譲許の中で鍛えていかなければならないだろう、という単純なことくらいである。 …相手はグローバリゼーションのような、予測を容易には許さない巨大な社会変動なのだ。…大事なのは、むしろリスクヘッジである。今私たちが持っている人的・物的資源や方法を確認しながら、身長に修正を加えていくぐらいの姿勢が重要なのである。

 

 

本著は、昨今の資質・コンピテンシー重視の教育界に対して一石を投じるものである。確かに、「何か能力をつける」ことが無駄だと否定する人はいない。そこから「能力化」の神格化が始まり、「どのような資質やコンピテンシーをつけるか」の議論が進み、国際的な足並みをそろえるという圧力を踏まえながら、結果として陳腐なところに落としどころを見付けているのであろう。

 

暴走する能力主義 (ちくま新書)

暴走する能力主義 (ちくま新書)