「かくかくしかじか(東村アキコ)」のタイトルの意味や伏線について考察する
改めて東村アキコ氏の「かくかくしかじか」を読みました。
女性漫画家版「まんが道」のようであり、また「ブルーピリオド)」のように芸術大学への受験、在学中からその後の人生まで知るうえでも参考になる漫画です。とても面白い。
ちょくちょく読み返しているのですが、あらためて伏線など感じるところもあり、その個人的な考察を記載しておこうと思います。今さらではありますが。
※「ネタばれ」あります
1 漫画の道具の意味するところ
「かくかくしかじか」では、ちょくちょく漫画の道具の描写があります。話の途中にふいに1コマあったり、挿絵であったり。
この意味するところのひとつは、「道具を大事にしています」ということだと思います。「かくかくしかじか」2巻で日高先生が大学を訪問した際、作者のアトリエへ一緒に訪問しています。その時、手入れしていないアトリエをみて「道具の手入れをできんやつにいい絵なんか描けん!」と叱咤されています。この「道具も大事にする」という日高先生への教えに対するひとつの回答なのかなと。
あとは「わたしは漫画を描いていく」という決意表明の用にも感じます。「かくかくしかじか」の途中で、「もう一度ちゃんとした絵を描いてみろ」という日高先生のメッセージを、改めて感じている筆者の様子が節々から読み取れます。それに対し、「やはりわたしは漫画家なのだ」と。そのため、最後のページに「私の先生」と書いて漫画の道具を書いてしめくくったのではないかと。
2 日高先生が女子高生からもらった手紙
「かくかくしかじか」4巻で、日高先生が高校の非常勤講師をしていたときに生徒からもらった手紙のシーンがあります。丸文字の様子にゲラゲラ笑っていますが、そこで以下のようなモノローグが入ります。
考えてみたら私は先生に手紙を書いたことがなくて…自分はどうしてそんなことも出来なかったんだろうかと あの頃そんなことを思いつきもしなかったのは 一体なぜなんだろうと
日高先生にあれだけお世話になりながら、手紙のひとつも書けなかったことに後悔が見て取れます。この後悔を受けて、 「かくかくしかじか」の最後は日高先生への手紙のような形で締めくくったのだと思います。 これまで書けなかった手紙をしたためて、想いを伝えてエンディングと。
3 筆者自身を「ひどい人間」に記載した理由
細かくは記載しませんが、「かくかくしかじか」では筆者自身の「ひどい人間」っぷりがちょくちょく出てきます。これが嫌で、漫画に低評価をつける人もいるとか。
本人自身の懺悔?的なものもあるのかもしれませんが、これは最後の日高先生へのメッセージの中で「(そんなダメな人間の)自分と違うから 何もかも違うから」先生のことだ大好きだった、と書いています。この先生への想いを際立たせるために、筆者のひどい立ち振る舞いをあえて書いてきたのではないでしょうか。
4 なぜドラマ化しないのか
東村アキコ氏の作品は、「ひまわりっ」「海月姫」「主に泣いてます」「東京タラレバ娘」「偽装不倫 」など、多くの作品がドラマ化や実写化されています。これだけ実写化されているのを見ると、「かくかくしかじか」も実写化の話が来ているのではないかと。
それでも実現に至っていない背景としては、最初は自分の話を実写化することに抵抗を感じているのかと思っていたのですが、「ひまわりっ」が実写化しているのを見ると、そうでもなさそうです。日高先生との思い出を大事にしたいのかもしれないですね。
4巻のあとがきのような記載もありました。
スマホのアルバムに負けないくらい、私の頭の中にはたくさんの写真と動画が保存されていたこと
この作品を描き始めてからそれに気が付いたので、なんというか、描いてよかったなあと今、素直にそう思っています。
実写化されることで、自分の頭の中にあるメモリが上書きされてしまうのを避けたいのかもしれないですね。
5 「かくかくしかじか」というタイトルの意味
タイトルの意味ですが、ひとつは言葉のとおり、日高先生との思い出を「これこれこういうわけで…」と説明する意味、として使われています。5巻でも「これで私と先生の物語はおしまいです」と記載があり、全編をとおして物語を語っていたということが記されています。
そしてダブルミーニングとしてもう一つは、先生の最後の言葉への回答です。
日高先生の最後の言葉は、「描け」でした。全編を通じ、この言葉が何度も繰り返されています。そしてこの言葉への回答として、筆者は「描く」、さらには「描くしかない」と伝えたかったのであろうと。5巻の最後にも、「だって描くしかないじゃん」「下手でもなんでも描くしかないよ」と。先生への回答であり、自分としての決意表明なのかなと感じました。
まとめ
以上、「かくかくしかじか」の伏線と感じられるところ等について個人的な考察を記載しました(無論、筆者である東村アキコ氏の言葉ではないので単なる推測ではありますが)。
その他、こういう伏線もあるのでは、ということがあれば是非教えて欲しいです。