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ご冗談でしょう、ファインマンさん/リチャード・P・ファインマン

多くの方が勧めていた本。

 

ノーベル物理学賞を受賞したファインマンによるエッセイのようなものだが、軽妙な口調で書かれており、専門的な知識は必要なくサクサクと読める。

 

エッセイもおもしろいのだが、この本で私が学んだことは、好奇心を大事にすること、そして遊び心をもって、あくなき追及心を抱くということである。

 

ファインマンは、一時期燃え尽き症候群のような状態になっている。物理が楽しくなかったというのだ。そのような状態から、「面白く遊べるかどうか」が重要だという。

前はあんなに物理をやるのが楽しかったというのに、今はいささか食傷気味だ。なぜ昔は楽しめたのだろう?そうだ、以前は僕は物理で遊んだのだった。いつもやりたいと思ったことをやったまでで、それが核物理の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなかった。ただ僕が面白く遊べるかどうかが決め手だったのだ。(上巻、P309) 

そして研究する対象は、他人にとって価値あるかどうかは問題ではない。自分にとって、楽しめるかどうかあんおだ。ただ、物理で遊ぶ事だけを考えていたのだ。

僕が別にそれをやらなくたって痛くも痒くもない。もう誰かがとうにやってしまったことだし、別に科学の未来に役立つことでも何でもないが、そんなことはどうでもよかった。僕はただ自分で楽しむためにいろんなことを発明したり、いろいろ作ったりして遊んだだけの話だ。

僕はもう燃え尽きたローソクみたいなものだから、もう決してたいした成果もあげられないだろう。僕はこの大学で楽しみながら授業をする結構な地位にある。これからはそれこそ娯楽のために、「アラビアンナイト」を読む調子で気の向いたときにその価値なんぞぜんぜん考えずに、ただ物理で遊ぶことにしよう。

 ファインマンと聞いたとたん思い出してもらいたいのは、ノーベル賞をもらったことでもなければ、理論物理学者であったことでもなく、ボンゴドラムでもマンハッタン計画でもない。僕が好奇心いっぱいの男だったということ、それだけだ、と先生はいつも言っておられた。驚異の心をもたない人間は、消えたろうそくも同然だ、と言ったのはアインシュタインだったか。とにかく何かにあっと驚き、なぜだろう?と考える心を失わないこと。そしていいかげんな答えでは満足せず、納得がいくまで追求する。わからなければわからないと、正直に認めること。これがファインマン先生の信条でもあり、そっくりそのまま先生の生涯を浮き彫りにしていると思う。(P312、下巻) 

 

自分も色々と勉強をし、学問をしている。だが、この気持ちだけは忘れないようにしたい。

 

また余談だが、最近読んだ「坂の上の雲」では、読書は乱読し、1冊の本から何か1つでも覚えて置けることがあれば十分という。私もたくさん読んで覚えようとする割には覚えられていないことが多いので、絞っていきたいと思う。

 

 

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

 
ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)