Pythonを学びデータサイエンチストになりたい

データサイエンティストになりたい、と夢想しながら読書記録を書くブログです。

タスクの優先順位付けマトリックス…と哲学(データの見えざる手/哲学な日々)

 朝にはエネルギーを使う仕事をして、午後は気持ち的に取り組みやすい仕事をする。大事なのは動くと言うこと。それが、幸福度にも繋がる。ただし、目的達成にこだわらず、人生は味わうことと心得るべし。時に思索をするが、自分の考えは甘いと自覚し、他者の考えに自分の思いを少々追加するくらいのスタンスとする。

  

読んだ本

A データの見えざる手 by 矢野和男

B 哲学な日々 考えさせない時代に抗して by 野矢茂樹

C 本を読むときに何が起きているのか by ピーター・メンデルサンド

 

考察

1 朝にエネルギーを要するタスクを行い、午後は流す程度にする 

  この本はかなり興味深かった。自然現象にみられる物理の法則や方程式は、人間の行動や自由意思にも適応される。ウェアラブルセンサによって認知できるようになったヒューマンビックデータにより、人間、社会、組織の法則性を明らかにした。

 著者は、時間の使い方は自由にならないと述べ、1日に使えるエネルギーの総量とその配分の仕方は、法則により制限されていると言う。つまり、活動量は朝から次第に上昇し、午後にピークを迎え、その後、低下していく。1日の途中で活動予算が枯渇すると、モチベーションが下がるという効果がある。

 このため、活動予算(U分布)を意識し、活発な動きを伴う仕事や、原稿執筆のような仕事など、バランスよくこなしていく必要がある。これを踏まえ、私は一日のToDoリストを作る際に、以下のような表に並べて書いている。

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 タスクの重要度、活動予算の大小によって、どの順位でタスクをこなすかを決定する。この場合、①→②→③→④の順番にこなしていき、特に①は午前中には終わらせるようにする。

 

2 なにはともあれ活動をして、幸福度を高める。だが、幸福の達成に拘らない。

 またAの本では、最新の技術によって、「どうすればハピネスは高められるのか」といった根源的な問い、哲学や宗教の問題に対しても、科学的アプローチが可能であると主張する。自ら体を活発に動かしやすい人は、ハピネス度が高く、その活発度は他者との相互作用のなかに起きるという。幸福度の50%は遺伝、10%は環境(人間関係、お金、健康)、そして40%は自分が「積極的に行動したか」どうかである。

 このため世界の現実は、ある程度科学的な見地から解明が可能なのだろう。

 幸せを人生の目的とするならば、非常に精算的な研究である。それに対し、Bの本は述べる。目的地を目指して走るだけでは、人生はもったいない、と。散歩のように、ゴールを目指して邁進するのでなく、ちょっとした季節の移り変わりや、心地よい風。それを味わう。生きることを、目的とか意義とか価値と言った言葉で語るのではなく、その味わいにおいて語るべきだ。哲学は生きていくことに対してメタ的な態度をとり、活動を一旦停止させる。生活を中断する。哲学をして、立ち止まって、「いったいこれは何なんだ」と自分のやっていることを問い直す。

 幸福度を高めることを人生の目的と据え置きながらも、それが実現せず仮に不幸であろうとも、その状況を「味わえる」姿勢は持ちたいものである。 

哲学な日々 考えさせない時代に抗して

哲学な日々 考えさせない時代に抗して

 

 

3 思索をする時は、自分の考えは甘いと自覚し、他者の考えを踏まえてから。

 とはいえ、Aの筆者も仕事の生産性を高めるため、仕事の途中で歩き回うようにもしているという。仕事の合間に人と交流することで、生産性もあがる。私も極力、活発度を高めるよう心がけながらも、その中で思索にふけることとしたい。 

 その際は、自分の頭で最終的に考えることは必須であるが、ひとりの考えでは甘く、たいしたことも出てこないので、まずは他の人の考えや情報を得て、深めることとする。インプット→思索→アウトプットをバランスよく行う。そのサイクルに推進力を加えることで、少しでも真理を明らかにしていき、それを積み重ねていく。

哲学は真理を求める求心力とともに、多様な考えや観点を開いていくと言う遠心力を持つ。 

 

4.自分の読書の仕方も、思索も、常に疑う 

 このように目的のみに邁進することを是とせず、考察し人生を味わうことを良しと私は述べた。このような私の主張に対し一石を投じたのが「本を読むときに何が起きているのか」である。

本を読むときに何が起きているのか  ことばとビジュアルの間、目と頭の間

本を読むときに何が起きているのか  ことばとビジュアルの間、目と頭の間

 

  この本は読書をする際に頭の中で起こっている事象を解読する上で役立つ言葉をちりばめている。特筆すべきは、その「読書に関するアート」といった表現の仕方だ。ハッとするようなアート的な技法で内容を展開し、まるでプレゼンテーションを見ているようだった。

 この本を読むと、本を読む際に、いかに頭の中で要約をつくりあげようとし、それが予測によって裏打ちされていたか、がよくわかった。筆者は、人は世界を見る時も同様の働きかけをしていると述べる。断片から、全体図を予測し、要約していると。 

 またこのブログのように、本から何か知識を得ることだけを目的としているのも疑問を感じずにいられなかった。読書の途中で起こる脳内や心の現象を味わうことなく、まとめるというスタンスは如何な事かと。

 とはいえ、読むことを堪能しようとすると、あまり記憶に残らず、読書における推測に結びつかないと思われるので、これはこれで続けるのだが。いずれにせよ、自分の読書の仕方に問題があるとは思っていなかった。もう少し自分自身も疑うようにしよう。